かつて私の尊敬している人が「内気はプライドだ」と言っていました。内気な人は自分自身について悩むことにたくさんの時間を使い、外に目を向けるべき時や仕事を成し遂げたり状況を改善したりすべき時でさえも、人から自分がどう見られるかばかりを心配してしまうと。
これは素晴らしいアドバイスです。自分自身について考えすぎるのではなく、もっと外に目を向けましょう。事実、誰もが自分のことばかりを考えていて、誰もあなたのことなど気にしていません。自意識過剰になる必要はないのです。
"なぜ、こうしたひとが橋下市長の手法に「ついてゆけない」のか朝生をみてわかったことがあって、
ようは「ついてゆけない」のはビジネスモデルが理解できないということだろう。
ビジネス脳がないと、橋下市長の行動則はたぶん理解しにくいのではないのか。
ビジネスをやってる人間からすると、橋下市長のやってることは至ってふつーのことだ。
(中略)
おおくの反橋下の思い込みに反して、政治とはもともと橋下市長が志向するようにビジネスモデルそのものだ。
国づくりの理念に燃えた明治政府も資金の調達と費用対効果で優先順位を決めた。
地方行政はとくに顕著で、たとえば優秀な自治体は「株式会社神戸市」などと言われるようにコスト意識と収益モデルをもっている。
こういうと、公務員が金儲けに精を出すなんてとんでもない、と言うひとが必ずでてくるけど、
弊害を気にして「やらない」のが今の日本のやる気のなさにつながってるのではないか。
無害な社会なんてないということを日本は新興国から学んだほうがいいとおもう。
あまりにも高潔すぎて国際基準から外れている。許容範囲をもたないと前に進む力が弱い。
薬師院やら香山リカやらの「ついてゆけないひと」は、少数を切り捨てる勇気をもてないかわいそうなひとだ。
少数を切り捨てるというだけでおそらく「大問題」になるのだろう。
結果、多数の最適化がとれないことになっても、それ自体にも不満をもつのでおんなじだ。
これが日本の縮図で、けっきょく、「ついてゆけないひと」というのは「決定できないひと」のことなんだ。
決定するための判断軸が多すぎて、しぼりこめないのだ。
だから、決定するひとが現れると、「保証」を要求する。「保証」がないと前に進めない人間なんだ。
橋下市長があたらしいことを打ち出すだけで恐怖し安全かどうか担保をしろという彼らこそ「モンスター」にちがいない。
橋下市長に「ついてゆけない」ひとたち。 - 所長サンの哲学的投資生活 ( フィリピン攻略篇 )
朝生を見ていないので「ついてゆけないひと」という評価が適切かどうかすら私には分かりませんが…。
論者のいうとおり、「橋下市長の行動はビジネスの視点からみると理解できる」と仮定しましょう。つまり、市長は経済的合理化を図っているという評価ですね。
ただ、この仮定を受け入れてもなお、問題は残ります。それは、論者の想定とは異なり、「政治とはもともと…ビジネスモデルそのもの」ではないのでは?ということです。
「小さな政府」を目指す立場があります。これは、民間で提供できるサービスはなるべく民間に任せて、政府・行政の規模と権限を小さくしようと指向するものです。しかし、「小さな政府」を支持していても、政府をなくしてしまえと主張する人はいません。
それはなぜかというと、市場が失敗してしまうからです。
「市場の失敗」典型例とされるのが、灯台です。灯台は夜の航海を安全にしてくれる必要な設備です。でも、灯台がビジネスとして成立するかというと、そうはいきません。光は、料金を払った船も払わない船も等しく導いてくれます。そうなると、料金を払うなんて損のような気がしてきて、支払わなくなるひとが増加するでしょう。でも、それでは灯台の経営が立ち行かなくなってしまいます。灯台を廃業されたら、夜の海は危険になり、やがては航海できなくなってしまうにもかかわらず……。
こういう、市場メカニズムがはたらくことで、かえって経済的な「効率性」が達成されなくなってしまうことを「市場の失敗」といいます。灯台のほかにも、環境問題などが典型例とされています。
つまり、政府・行政には、民間だとたちゆかないけれど、でも、あった方がみんなのためになるものを引受けているという部分もあるのです(もちろん、民間で代替できそうなサービスを行っている場合もありますが)。
そうすると、「政治とはもともと…ビジネスモデルそのもの」とはいえない部分もある、という結論に至ると思います。
行政の効率化をめざす手段として、経営的見地を生かす、という視点は10年くらい前からの流行です。ただ、ビジネス的見地を徹底し、不採算部門を切り捨てるのであれば、それは政治や行政の意義そのものの放棄にあたります。
なお、政治や行政とは少しそれてしまいますが…「多数の最適化」を理由として過度の「少数」に対する「切り捨て」が起きないように、法という「足かせ」が、政治家や行政府にかされています。そのような束縛を、一般論としてやめる選択を、大阪市民はしたのでしょうか?(論者のいう「少数を切り捨てる」ということが、何を意味し、どの程度を想定しているか、必ずしも明らかではありませんけれども)
価値観の多元化する社会において「決定するための判断軸が多すぎて、しぼりこめない」というのは、もっともなことだと思います。また、その「遅さ」に対する焦燥やいらだちも理解できるのですが…。橋下市長(または「反橋下派」)の(個別具体の政策でなく)姿勢そのものに対する議論はよくわからないことが多いです。
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(kogureから)
【質問】
スベルドロフスク事件とは?
【回答】
モスクワの東850マイルにあるスベルドロフスクで1979/4/2,突然炭疽病が発生.約百人が感染し,少なくとも64人が死亡した.
現地の医者は当初,肺炎,次いで心臓麻痺と診断.
結局,モスクワから専門医が派遣され,炭疽病と断定.
ソビエト政府は,炭疽菌に汚染された肉を食べたのが原因であるとの発表を行った.
スベルドロフスクには第19工場 Compound 19
という名称で呼ばれる秘密の生物兵器工場があり,そこから誤って炭疽菌が漏れ出したのではないかと疑われた.
この疑いが正しかったと証明されたのは1992年5月.
発表を行ったのはエリツィン大統領だが,彼は事件発生当時,スベルドロフスク地区共産党の最高指導者だった.つまり,事件隠蔽の張本人だったわけである.
この事件により,ソビエトが1972年の生物兵器協定に違反していたことが明るみに出た.
プロレスとは他者との繋がりそのものだ。
相手を論破して「俺ってすごいだろ」的なことをアピールすることは
プロレス的にはレベルの低い行為だ。
相手の個性や魅力、強さを引き出し、相手を引き立たせた上で、
何より試合自体がエンターテイメントとして成立することこそが重要である。
天才と呼ばれたプロレスラーは「俺はホウキ相手でもプロレスができる」と言った。
組織が腐っていようと
政治に問題があろうと
僕らが結果を出していくのは当たり前だ。
プロレスでは何よりもエンターテイメントが重視される。
「これは実話なんですが…」なんて枕詞では
真に重要なのは、説得力であり、面白さだ。
「面白さ」こそが最優先事項で、
「正しさ」とか「効率」とか「新しさ」なんて比較するに値しない。
プロレスでは試合の勝ち負け自体はさほど問題にならない。
プロレスでは試合に負けても自分の強さの質を下げず、
むしろ評価を上げることさえ出来る。
プロレスでは勝率は重視されない。
リスクを恐れて格下相手に勝ち星を稼いだって何の意味も持たない。
常にベルトを持ってるチャンピオンへの挑戦をアピールすべきだ。
小さな失敗にこだわる必要は無い。
最も重要なのは、大局的に『最強』でいることだ。
人生はプロレスだ。
5カウント以内なら
反則攻撃だろうと何でもアリだぜ。
"人生はプロレスだ - はじめに閲覧されるべきもの (via dot) (via mnak) (via syuta) (via budda) (via etecoo) (via karlmcbee) (via dannnao) (via mekarauroko) (via mutio) (via exposition)
YouTube - [DDT] 男色ディーノ・ヨシヒコVSPIZAみちのく・アントーニオ本多
http://www.youtube.com/watch?v=mlwzQEdGTls
(via hsmt) (via sakurasakuras)
(via pinto)愚民思想が根強い人気を持つ理由 (via shibata616)
(出典: itokonnyaku、otsuneから)